縮景園
Shukkeien Garden
400年前に広島の殿様が造った、池のまわりを歩いてめぐる日本庭園。原爆で大きな被害を受けながらよみがえり、街の真ん中で静かな時間を過ごせます。
広島藩主の別邸の庭
縮景園(しゅっけいえん)は、広島藩の初代藩主・浅野長晟(あさのながあきら)が、1620年から別邸の庭として造らせた大名庭園です。庭をつくったのは、家老で茶人でもあった上田宗箇(うえだそうこ)です。
「縮景」とは、景色を縮めるという意味です。中国・杭州の名勝「西湖(せいこ)」の景色を縮めて造ったとも伝えられています。池を中心に、山や谷、橋、茶室などが配置されていて、園路を歩くと次々に景色が変わっていく「回遊式庭園(かいゆうしきていえん)」です。
江戸時代の後半には、京都の庭師・清水七郎左衛門(しみずしちろうざえもん)によって大がかりな改修が行われました。庭の中心にあるアーチ形の石橋「跨虹橋(ここうきょう)」は、このときの改修を代表するものです。1940年に浅野家から広島県に寄付され、同じ年に国の名勝に指定されました。
原爆の被害と復興
1945年8月6日の原爆で、縮景園は石橋を除くほぼすべての建物を失いました。被爆後、亡くなった人々が園内に仮に埋葬されていたことがわかっていて、園内にはその人々を悼む慰霊碑があります。
戦後、1949年から約30年をかけて少しずつ復元が進められ、1974年に最後の建物の復元が終わりました。園内には、爆心地から約1.4km離れたこの場所で原爆に耐えて生き残った「被爆樹木」が3本(クロマツ、イチョウ、ムクノキ)あります。イチョウは爆風で斜めに傾き、幹の3分の1に大きなやけどの跡を残しながら、そこから新しい芽を出しています。
池のまわりを歩く
中心となる池は「濯纓池(たくえいち)」といいます。原爆で大きな被害を受けながらも、池や跨虹橋など庭の骨組みは残りました。園路は池のまわりをめぐっていて、歩く場所によって池と建物、木々の重なり方が変わっていきます。
木々や花は季節ごとに表情を変えます。夏には夜の庭を照らすライトアップのイベントが開かれた年もあります。行事の予定は公式サイトで確認してください。
行き方
広島市中区上幟町にあり、広島県立美術館のとなりです。JR広島駅から路面電車(広島電鉄)で八丁堀へ行き、白島線に乗り換えて「縮景園前」で降ります。広島駅の新幹線口から出るバスで「県立美術館前(縮景園)」まで行く方法もあります。
駐車場は少ないので、公共交通機関での来園がすすめられています。開園時間は季節によって変わるので、公式サイトで確認してください。
ヒント
- となりの広島県立美術館とあわせて訪れるのもおすすめです。美術館では縮景園と連携した展覧会が開かれたこともあります。
- 被爆樹木のイチョウは、園内を歩きながら探してみてください。傾いた幹に、原爆の爪あとが今も残っています。
- 広島城からも近いので、城跡とあわせて歩いてめぐることができます。
出典
- 縮景園(公式サイト)
- 縮景園の歴史|縮景園(公式サイト)
- アクセス|縮景園(公式サイト)
- 縮景園の歴史、被爆前、被爆、現在の状況|地域観光資源の多言語解説文データベース(観光庁)
- 縮景園連携企画|広島県立美術館
- クロマツ・イチョウなど(縮景園内)(被爆樹木)|広島ピースツーリズム
更新日 2026年9月29日. 営業時間や料金は変わるため、出かける前に公式サイトで確認してください。