興福寺
Kofuku-ji Temple
近鉄奈良駅から歩いてすぐ、藤原氏ゆかりの大寺院。2018年に再建された朱色の中金堂と、阿修羅像で知られる国宝館をゆっくり巡れます。
藤原氏とともに栄えた奈良の大寺
興福寺は、法相宗(ほっそうしゅう、奈良時代に中国から伝わった仏教の宗派のひとつ)の大本山です。始まりは669年、藤原鎌足の病気の回復を願って妻の鏡女王(かがみのおおきみ)が建てた「山階寺(やましなでら)」と伝えられています。710年に都が平城京(今の奈良)へ移ると、鎌足の子・藤原不比等(ふひと)がこの地に寺を移し、「興福寺」と名づけました。
藤原氏は古代日本で最も力を持った貴族の一族で、興福寺はその氏寺(うじでら、一族のための寺)として大きくなりました。平安時代には隣の春日大社の実権も握り、鎌倉・室町時代には大和国(今の奈良県)を治める役目まで担いました。明治時代の神仏分離(神道と仏教を切り離す政策)で苦しい時期を迎えましたが、その後に復興が進み、今は「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録されています。
300年ぶりによみがえった中金堂
境内の中心に建つ朱色の大きなお堂が、中金堂(ちゅうこんどう)です。興福寺は火災の多い寺で、中金堂も平安時代以降に7回焼けては建て直されてきました。1717年に焼けたあとは費用の問題で本格的な再建ができず、1819年に小さな仮のお堂が建てられただけでした。
その仮堂を2000年に解体し、発掘調査を経て2010年に柱を立てる儀式、2014年に上棟式を行い、2018年10月に創建当時の規模で再建されたお堂が完成しました。朱色の柱と白い壁の建物は、奈良時代の寺院の姿を思い浮かべる手がかりになります。
阿修羅像に会える国宝館と、個性の違うお堂
国宝館は、僧侶たちが食事をした食堂(じきどう)の跡に1959年に建てられた宝物館です。いちばんの人気は、奈良時代の国宝・阿修羅像。3つの顔と6本の腕を持つ、高さ153.4cmの像で、ふだんから公開されています。ほかにも、飛鳥の山田寺から運ばれた7世紀の銅造仏頭、鎌倉時代の天燈鬼(てんとうき)・龍燈鬼(りゅうとうき)像など、国宝がずらりと並びます。
東金堂(とうこんどう)は、726年に聖武天皇が叔母の病気回復を願って建てたお堂で、今の建物は1415年の再建です。八角形の南円堂(なんえんどう)は、西日本の観音霊場をめぐる「西国三十三所」の第9番札所で、ふだんは扉が閉まっており、中が公開されるのは毎年10月17日の行事の日だけです。同じく八角形の北円堂は、春と秋の特別公開のときに中を拝観できます。
五重塔の修理と行き方
高さ約51mの五重塔(1426年再建、国宝)は、明治時代以来約120年ぶりとなる大規模な修理の最中です。塔全体が高さ約60mの工事用の覆い(素屋根)に隠れていて、外から姿を見ることはできません。奈良県の資料では、修理期間は2034年3月までの予定です。工事のため境内の通路が一部変わっていますが、中金堂や国宝館はふだんどおり拝観できます。
近鉄奈良駅の東改札2番出口から歩いて約5分です。JR奈良駅からは市内循環バスで「県庁前」バス停まで行くと、すぐ近くです。奈良市観光協会は、東大寺や春日大社とあわせて奈良公園・ならまちエリアを歩いて巡るコースを紹介しています。拝観時間や拝観料は変わることがあるので、公式サイトで確認してください。
ヒント
- 時間が限られていて仏像を見たいなら、国宝館を優先しましょう。阿修羅像をはじめ、国宝の仏像がまとまって展示されています。
- 五重塔は工事の覆いで見えません。塔の写真を楽しみにして行くとがっかりするので、修理中であることを知ったうえで訪ねてください。
- 境内での飲酒と喫煙(電子たばこを含む)、ドローンの飛行・撮影は禁止されています。
- 北円堂の春・秋の特別公開や、10月17日の南円堂の開扉など、期間限定の公開は公式サイトのお知らせで確認できます。
出典
- 概要 - 法相宗大本山 興福寺
- 中金堂 - 法相宗大本山 興福寺
- 中金堂再建 - 法相宗大本山 興福寺
- 国宝館 - 法相宗大本山 興福寺
- 阿修羅像【八部衆】 - 法相宗大本山 興福寺
- 南円堂 - 法相宗大本山 興福寺
- 北円堂 - 法相宗大本山 興福寺
- 東金堂 - 法相宗大本山 興福寺
- 【重要】当山五重塔修理工事に関するお知らせ - 興福寺
- 国宝 興福寺五重塔 / 奈良県
- 国宝 興福寺五重塔 現在の修理状況 / 奈良県
- 興福寺|奈良市観光協会公式サイト
更新日 2026年9月29日. 営業時間や料金は変わるため、出かける前に公式サイトで確認してください。