マイントピア別子
Minetopia Besshi
283年間銅を掘り続けた別子銅山の跡を生かした観光施設。トロッコ列車で坑道に入り、山の上では「東洋のマチュピチュ」と呼ばれるレンガの遺構に出会えます。
日本の近代を支えた別子銅山
別子銅山(べっしどうざん)は、愛媛県新居浜市(にいはまし)の山中にあった銅山で、日本三大銅山のひとつに数えられます。1691年に住友家が掘り始め、江戸時代には長崎での海外との貿易の支払いにも使われました。明治以降は住友の事業の土台となり、新居浜が工業都市として発展するきっかけにもなりました。
掘り進むうちに坑道は海面下約1,000mの深さに達し、地圧と地熱が高まったため、1973年に閉山しました。江戸・明治・大正・昭和の4つの時代にわたる283年の歴史でした。マイントピア別子は、その跡地を生かして1991年6月に開業した観光施設で、名前は英語の「マイン(鉱山)」と「ユートピア(理想郷)」を合わせたものです。
端出場エリア:トロッコ列車で坑道へ
ふもとの端出場(はでば)エリアは、1930年から閉山まで銅山の採鉱本部があった場所で、いまは本館のある道の駅(国に登録された幹線道路沿いの休憩施設)になっています。
いちばんの目玉は「鉱山観光」です。かつて鉱石運びに使われていた鉄道のトロッコ列車に乗り、着いた先の観光坑道を歩いて見学します。坑道の中では、模型などの展示で江戸時代から近代までの銅山の歴史を学べます。公式サイトによると、所要時間は40分から1時間ほどです。坑道の中は夏でもひんやりしています。
ほかに、当時の発電機や水車を間近で見られる旧端出場水力発電所、砂金採り体験、温泉「別子温泉 天空の湯」、レストランなどがあります。
東平エリア:「東洋のマチュピチュ」
標高約750mの山中にある東平(とうなる)には、1916年から1930年まで採鉱本部が置かれていました。最盛期には約5,000人が暮らし、学校や病院、娯楽場、社宅がある山の町でした。1968年に東平の坑道が休止してからは、人の住まない場所になりました。
いまも山の斜面に残る石とレンガの遺構、特に鉱石をためた貯鉱庫や索道(さくどう=ロープで荷物を運ぶ設備)の基地の跡が、その姿から「東洋のマチュピチュ」と呼ばれています。東平歴史資料館では、当時の暮らしの様子を知ることができます。
行き方と季節の注意
端出場エリアへは、JR新居浜駅から瀬戸内運輸の「せとうちバス」でマイントピア別子(終点)まで行けます。車なら松山自動車道の新居浜インターチェンジから約6kmです。
東平エリアへ直接行く公共交通機関はありません。車で行くか、端出場エリアから出る有料の「東平行き観光バスツアー」を利用します。東平までの道は狭く険しい山道です。
ヒント
- 東平エリアは、毎年12月から2月末ごろまで冬の通行止めのため休業します。台風などで道路が通行止めになることもあるので、公式サイトの営業カレンダーで確認してから出かけましょう。
- 東平エリアだけが休みの日もあります。東平を目当てにするなら、その日の営業状況を必ず確かめてください。
- 2026年10月17日(土)は全館が臨時休業です(公式サイトのお知らせ)。
出典
- マイントピア別子(公式) (新しいタブで開きます)
- 端出場エリア|マイントピア別子 (新しいタブで開きます)
- 鉱山観光・別子1号乗車体験|マイントピア別子 (新しいタブで開きます)
- 東平エリア|マイントピア別子 (新しいタブで開きます)
- アクセス|マイントピア別子 (新しいタブで開きます)
- 東平エリア9/11(金)より通行止め解除のお知らせ|マイントピア別子 (新しいタブで開きます)
- 東洋のマチュピチュ -別子銅山-|しまなみ海道(本州四国連絡高速道路) (新しいタブで開きます)
更新日 2026年9月30日. 営業時間や料金は変わるため、出かける前に公式サイトで確認してください。