鞆の浦
Tomonoura
潮の流れが変わるのを船が待った、瀬戸内海の古い港町。江戸時代の常夜燈や石段の船着き場が残り、路地を歩けば昔の港の暮らしが見えてきます。
「潮待ち」でにぎわった港町
鞆の浦(とものうら)は、広島県福山市の南端、福山駅から南へ約14kmの海沿いにある港町です。日本最古の歌集『万葉集』にもその名が詠まれています。
瀬戸内海は潮の流れが複雑で、昔の船は潮の向きが変わるのを待ってから進みました。鞆の浦はその「潮待ち」の港として栄え、江戸時代には北前船(きたまえぶね、日本海側と大阪を結んだ商船)も立ち寄りました。
町並みは国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選ばれ、港町の物語は「日本遺産」にもなっています。さらに、ここに滞在した朝鮮通信使(江戸時代に朝鮮王朝から日本へ派遣された使節団)の記録がユネスコ「世界の記憶」に登録されています。この3つがそろう場所は、国内で鞆の浦だけです。
江戸時代の港の設備が残る
港のシンボルは、1859年に建てられた「常夜燈(じょうやとう)」です。夜に火をともして船の出入りを導いた灯台で、高さは10mを超え、江戸時代の常夜燈としては最大級とされています。
常夜燈のまわりには、潮の満ち引きに関係なく荷物の積み下ろしができる石段の船着き場「雁木(がんぎ)」、波よけの「波止(はと)」、船の修理場だった「焚場(たでば)」の跡、船を見張った「船番所」が残っています。江戸時代の港の設備がこれだけそろって残っている港は、全国でも貴重です。
対潮楼と坂本龍馬ゆかりの町
港を見下ろす福禅寺(ふくぜんじ)の客殿「対潮楼(たいちょうろう)」は、1690年ごろに建てられ、江戸時代には朝鮮通信使を迎える宿として使われました。1711年に訪れた使節は、ここからの眺めを「日東第一形勝(日本でいちばん美しい景色)」とたたえています。
幕末には、坂本龍馬ひきいる海援隊の船と紀州藩の船がぶつかった「いろは丸事件」の談判が、この対潮楼で行われました。町には、事件に関する資料を展示する「いろは丸展示館」があります。沖に浮かぶ仙酔島(せんすいじま)へは、市営の渡船で約5分です。
名物は「保命酒(ほうめいしゅ)」。もち米と焼酎に16種類の薬味を漬け込んだ、江戸時代から続くお酒です。
行き方
JR福山駅の南口から鞆鉄バスの鞆線に乗り、「鞆港」で降ります。対潮楼や常夜燈へは、バス停から歩いて行けます。
町の中は細い路地が多いので、歩いてめぐるのがいちばんです。観光案内所があり、ガイドツアーも行われています。
ヒント
- 対潮楼から眺める海と島の景色は、鞆の浦を代表する眺めです。拝観できる時間は公式情報で確認してください。
- 仙酔島には遊歩道があり、夕日の名所としても知られています。時間に余裕をもって渡りましょう。
- 毎年5月には、弁天島で瀬戸内海でいちばん早い花火大会が開かれます。ほかにもほぼ毎月のように祭りや行事があります。
出典
更新日 2026年9月29日. 営業時間や料金は変わるため、出かける前に公式サイトで確認してください。